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サ行
賽河屋(さいかや)
甲州街道で尸良に殺された、逸刀流の二人組の呼称。賽河屋は薬屋の名前だと思われる。
眉間にできもののある方の賽河屋は、道楽として薬売りをやっているようだ。
鼻と耳にピアスをつけている方は、商売人とは思えない風貌だが、
二人組で「賽河屋」ということは、同じく薬売りをやっているのだろう。
ちなみに、ピアスをつけた方の賽河屋が背負ってる薬箱(武器を隠すための偽物)に書かれている
「反魂香」「金丹」「鎮心符」「外法覚醒符」は、「女神転生」の回復アイテム。
斉藤 応為 辰政(さいとうおういたつまさ)
町の夫で、勝川家同心。義理の弟である卍に殺される。
名前は、葛飾北斎の娘・阿栄(おえい)の画号「応為」、葛飾北斎の画号「辰政(ときまさ)」から取ったと思われる。
斉藤 上総守 辰家(さいとう かずさのかみ たついえ)
斉藤辰政の父。旗本・堀井重信が卍に殺された時、番方だった辰家は責任を取って切腹させられた。
咲楽(さくら)
江戸城で捕らえられた凜に、百敲きの刑を加えようとした武士。
その途中、闖入した怖畔に殺された。
砂登(さと)
上長房村の宿屋の女房。凛の腹に傷をつけ、凛の関所抜けを成功させた。
モデルは、プレステのゲーム「クーロンズ・ゲート」の小黒(シャオヘイ)。
砂和(さわ)
砂登の妹。美濃・下田屋草兵衛の妻。17歳。
司鞍 黄十郎(しぐら こうじゅうろう)
幕府主催の酒宴に招かれた逸刀流の幹部。いかにも剣士然とした、厳めしい風貌を持つ男。
襲撃する吐と偽一に対して、カッと目を見開き応戦するが、首をはねられ、あえなく死亡。
(全登場人物図鑑「百」より)
閑馬 永空(しずま えいくう)
卍と同じく、血仙蟲によって無限の命を得た逸刀流剣士。
戦国時代の生まれで、年齢200歳以上、戦場で殺した人間は1000人以上。
卍と組んで天津を殺そうとするが卍に拒否され、卍と戦う。
最後は卍の攻撃を避けずにわざと斬られ、「虫として生きるのはもう疲れた」と言い残して死んだ。
昔、西蔵国(チベット)を徘徊していたそうだが、朝鮮出兵に参加してそのまま徒歩でヒマラヤの麓まで行ったのだろうか。
司戸 菱安(しど ひしやす)
’無敵の’浪人集団「新鮮組」の副将。町を拉致して殺す。
「新鮮組」はもちろん近藤勇や沖田総司がいた新撰組のパクリ(でもこの頃にはまだ新撰組は存在しなかったから、新撰組の方がパクリ?)。
主将は誰なのか不明。
名前はおそらくセックス・ピストルズのシド・ビシャスをもじったもの。
島田 弥兵衛(しまだ やへい)
小仏の関の奉行。凜を怪しんで入念に取り調べたが、最後は通行を許した。
序仁 魚仏(ジョニイ ぎょぶつ)
司戸菱安の弟。懺悔に来た賞金首を殺していた教会の宣教師。
「無限の住人」で一番最初に登場した人物。
「魚仏」は葛飾北斎の画号からとったものと思われる。
尸良(しら)
無骸流剣士。百琳より半年遅れて加入する。日本橋の長浜生まれ。
16歳の頃から金をもらって人を殺していた。無限の住人一の残忍な性格。
「雪待」でお恋を殺し、逸刀流の薬売り二人を惨殺するが、卍に右腕を斬られて逃亡。
甲州道で凶と戦い、死闘の末、滝壺に落とされる。
その後、江戸城の牢に幽閉されて再登場。
右腕の骨を尖らせ、武器にしている。
尸良が殺した逸刀流剣士の人数は、30台のようだ
真理路(しんりじ)
無骸流の一人。呉服問屋の丁稚をしていた頃、旦那の金に手をつけて下手人となる。
「真理路」は頭目が名付けたもので、本名は不明。一番最後に無骸流に加わる。
いつもは百琳の補佐役として行動している。
百琳のことが好きで、所帯を持つのが夢だったが、百琳を助けようとして鬼抜に斬られる。
名前の由来はイギリスのロックバンド「シン・リジィ」だと思われる。
また、着物の背中の薔薇はシン・リジィのアルバム「Black Rose A Rock Legend」のジャケットと同じ。
墨田の哭蔵(すみだのなきぞう)
往来で吉乃瞳阿に喧嘩を売られた同心。
墨田はおそらく地名。逸刀流の天保道場がある向島の近くにある。
静(せい)
逸刀流が雇った「雪待」の女郎。
早くから親を亡くし、棒手振り(行商)の兄と二人暮らしをしていたが、兄の病気により生活できなくなって女郎となる。
甲州道で天津のおとりになり、尸良に殺されかける。その後、兄と共に自殺。
仙じい(せんじい)
マタギ(東北地方などの山間部に住み、熊などを狩猟して生活する者)。
把山の育ての親だが、血縁のほどは不明。手負いの熊に殺されて死亡。(全登場人物図鑑「百」より)
宗理(そうり)
売れっ子絵師。凛の父・浅野虎厳の幼い頃からの友であり、裏の職業は幕府の忍目付(隠密)。
娘の辰と暮らしており、辰が家事全般を受け持っていることから妻はいないようだ。
死に別れたのか、はたまた宗理のムチャクチャな性格に愛想をつかして離縁したのか。
宗理のモデルはおそらく浮世絵師の葛飾北斎。
その理由は、北斎は30代の頃に「俵屋宗理」と名乗っていたこと。北斎は宗理と同じく引っ越し好きで、奇行が多かったこと。
北斎の生まれは、宗理が幼少の頃に鏡師の修行していた本所(ほんじょ)であること。北斎の養父は鏡師をしていたこと。
そして宗理が9巻で富士山を眼目にした連作(「富嶽三十六景」?)を描きに行くと言っていることである。
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